多彩の指南書

20歳女子大生があなたをインタビューをします

【第3回】【東日本大震災】遠藤園縁さん「西日本の人は、東北の震災を知らなさすぎる」

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  関西生まれ、関西育ち。私は旅行でしか関西の外には出たことがない。地震が多い日本で、関西の震災と言えば阪神淡路大震災だろう。生まれる前に地震も復興も終わっていた私たち大学生の世代はあまりピンとこないのが本当のところだ。恥ずかしながら2011年当時、私は東日本大震災のニュースを見てもあまり実感が湧かなかった。遥か遠い話のような感じだった。

   だからこの話は、私と同じような関西の学生に向けて書こうと思う。

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宮城県で生まれ育ち、大分県の大学に通う。二つの震災の爪痕に触れるということ。

 遠藤園縁(えんどうそのえ)は宮城県出身で大分県の大学に通う大学1年生だ。

彼女の地元は宮城県大河原町。2011年3月11日、最も揺れが強かった場所の一つである。当時彼女は小学6年生だった。

「震災のことは鮮明に覚えている。だから、小学校の時の他の記憶があんまりない」

 

忘れもしない「あの時のこと」

  14時46分。その時、彼女は教室で普段通り授業を受けていた。揺れは来た。余りに揺れが強くて立っていられなかった。必死で机の脚に捕まろうとするも机の脚さえも揺れている。つかまる所がないくらい全てのものが揺れていた。その時先生は「これは宮城県沖地震だ」と言った。宮城県に30年に1回絶対来ると言われてた地震である。他の大人もみんなそうだと思っていた。しかし三日後にラジオを聞き、これが宮城県沖地震よりも遥かに大きい東日本大震災だと知ることになる。

 

   家は幸い外傷は無かったものの、中は足の踏み場がないくらいに滅茶苦茶になっていた。もしあの時家にいたら確実に死んでただろうと言われた。

  震災から数日、園縁たちは電気が復旧するまで蝋燭の下で暮らした。寒さに耐え、余震に震えながら乾パンやカップラーメンを分け合ったりした。幸い溜めてたお風呂の水のお陰でトイレの水には困らなかった。ラジオで流れていた綾香の「みんな空の下」に号泣した。

 

元あったものがない

  彼女が海を見たのはあの日から随分経った頃のことだった。大河原町はかなり海から離れているので、それまではテレビや新聞からの情報や周りの噂が全てだった。実際見ると何もない。元あったものがないという衝撃。ぐちゃぐちゃになった土。そして、もしかしてそこに誰かが埋まっているかもしれないという恐怖。

 

「多分、津波を見た人たちは一生忘れられないと思うよ」と彼女は言っていた。きっと自分の街が崩壊していく恐怖は底知れないだろう。その証拠に彼女の代まで高校受験で地震の問題は一切出なかったという。

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先生の話 

  震災から6年経った2017年春、改めてそれに向き合う機会があった。というのも、彼女が大分の大学に通うことになったからだ。大分もまた2016年の熊本地震で被害を受けた地域である。大分の被害についてはテレビや新聞で大々的に報道されなかったものの、インターネットを見ていると大分の受けた被害も相当のものだったことが分かる。

 

  大学に入り、たまたまとった授業に時事問題を扱うものがあった。その授業では国内外の様々な問題が取り上げられたが、その中の1つに震災復興があった。具体的に言えば、熊本地震の復興を他の震災の復興と比較するというものである。

   

   先生は言った。「宮城は地方だから未だに復興していない。神戸は都市部だったため、速いスピードで復興したし、同様に九州も復興に向かっている」と。先生のこの言葉に彼女は腹が立った。先生に限らず、九州の人は九州の地震しか経験していないので、それが全てだと思い込んでいる。東日本大震災熊本地震と比較にならないほど規模が違った。マグニチュードにも違ったが、原発の問題・津波があるかないかは決定的だった。熊本地震でもみんな大変な思いをしており、どっちの被害がひどいか・どっちが辛いかなんて比べる気は毛頭ないが、東北の人たちが自分たちで進めてきた復興の軌跡を否定されたようで胸が痛かった。

 

  今、東北は確実に復興している。仮設住宅はやっと廃止になって、公営住宅に変わった。浜辺を覆っていた瓦礫の山は綺麗に片付けられ、やっと落ち着いた。だが今の段階に来るまでの道のりは長かった。原発など色々問題が絡まり合い現場と国との足並みは揃わなかったし、予算や避難区域に至るまで様々な問題が頻発した。そのことを先生は言いたかったのかもしれないが、東日本大震災の復興をそんなに短絡的に語って欲しくはなかった。

 

 

「西日本の人は、東日本大震災のことを知らなさすぎる」と彼女は言う。関東に行って「宮城出身です」と言うと、「震災大丈夫だった?」と必ず言われるのに、関西や九州の人からは「宮城かあ、遠いね」それだけ。当然のことかもしれないけど、関心があまりにもなさすぎる、と。西日本と東北の温度差が大きすぎる。

震災跡を見に来てほしい。当時どんな悲惨な状況で、ここまでくるのにどれだけの時間が掛かったのか知ってほしい、と。

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震災の体験した人の話を聞くのは初めてだった。東日本大震災の関連書を幾つか読んだこともあるが、本物の話はそれの比にならないくらい話はどすんと心に響く。

 

南海トラフもいつ起こるかわからない。大阪湾に津波がきたら梅田の地下街はやられてしまうとも言われている。決して他人事ではないはずなのに、今まで私の心のセンサーは鈍かった。いや多分今もそれほど理解はしてないんだろうけど。

  

東北旅行、しようかな

 

 

おしまい