多彩の指南書

20歳女子大生があなたをインタビューをします

【第4回】【釜ヶ崎支援】福成優香さん 「怖い」から理解できる存在へ

 

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 今回インタビューさせて頂いたのは関西大学3年の福成優香さんだ。彼女は、大学生協の学生職員また学生団体「学生企画ネットワーク」の一員として様々な方面から貧困問題に携わっている。今回は釜ヶ崎での活動についてお話を伺った。

 

# 最後の砦「釜ヶ崎

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  釜ヶ崎。ここがどのような街かご存知だろうか。最寄り駅はJR大阪環状線新今宮駅御堂筋線動物園前駅。駅を降りて少し歩くと、たくさんの野宿者や立ち並ぶドヤ簡易宿泊所)が見える。真昼間からワンカップ片手に歩いているおっちゃんたち、昭和を彷彿させる街並み、1缶50円の自販機。物価からまるで違うこの街は、初めて訪れた人には異世界に映るかもしれない。

(上の写真・あべのハルカス釜ヶ崎の対比に注目して欲しい。)

 釜ヶ崎に関する文章を読んでいると、釜ヶ崎「日本で唯一のスラム街」「日雇い労働者の街」などと表現されていることに気付く。

  しかしインタビューの中で、福成さんは釜ヶ崎「最後の砦」と表現していた。釜ヶ崎は人の流入が激しい街である。自分の街で生活が行き詰まった人たちが全国から支援を求めてこの街に集まる。

「西成までの片道切符を持ってくる人は結構いますね。以前沖縄から来た若い夫婦がいて、全財産がこれだけなんです、って1000円札1枚を見せてくれたんです。他にも遠くから来た人をみることも多くて。本当に最後の砦だと感じます」

  最後の砦「釜ヶ崎」開かれた福祉の街であるこの街を的確に表している。福成さんの言葉をお借りして、私はこう表現したい。

  

#「私とは考えが違う人」から身近な存在へ。 

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 前置きが長くなったが、ここから福成さんの話に入っていく。

 福成さんがこの街のことを知ったのは大学1年生の春だった。彼女は大学生協の学生職員として働いていたのだが、その事業の一環で貧困問題を扱うことになる。それは釜ヶ崎の貧困も含むもので、先輩の案内のもとこの街を訪れた。

―はじめて釜ヶ崎に行ったとき、どう思われました?

「怖かったですね、最初は怖いですよね。小学校の時にホームレスの人は本当はお金があるけど、ああいう暮らしがしたくてしているって聞いたことがあるんですよ。その時からだいぶ長い間そうだと信じてました。だから釜ヶ崎に行った時、自分とは違う世界に生きてる人たちが集まる街は怖いわあと思いましたね

その時やくざのお兄ちゃんも見かけたんですよ。昔はやくざに対して偏見が今よりもあったので、その道に入りたくて入った自分とは全く考えが違う人だと思ってましたね。衝撃でした。なんだここって。」

  彼女にとって初めての釜ヶ崎訪問は「怖い」と同時に興味が湧く「おもしろい」ものだった。説明を聞くだけでは釜ヶ崎で暮らす人の声が聞けないと思い、釜ヶ崎の支援に関わることを決意した。

 具体的な活動は、炊き出し見回りパトロール(野宿者の安全見守り)だ。炊き出しは寸胴2つ分、つまり400人分用意する。メニューはその日集まった支援の食料をもとに決めるという。カレーや中華丼が多いそうだ。

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   そうした活動を通じて釜ヶ崎の人と話す機会も増え、野宿している人への見方も変わっていった。

「ボランティアして勉強するうちに考えは変わりましたね。野宿したりやくざをやったりしているのは、貧困に陥った結果、そうせざるを得ない人たちで。誰も望んでそういう世界に入ったんじゃないんだって。」 

   彼女が釜ヶ崎で出会ったのは、貧困と孤独の間で悶え苦しむおっちゃんたちの姿だった。

苦しさに耐えかねて何度も自殺を図ろうとするおっちゃんたちもいたという。それを目の当たりにし、彼らの感情に触れ合い、「怖い存在」から「理解できる存在」になっていった。

「自分だっていつどうなるかわからない。怪我をして仕事を失うかもしれない。だかからホームレスという状態が他人事に感じられなくなりました。野宿のおっちゃんたちと私の違いはないなと思っています」

 実際に福成さんは母親の病気や父親の不当解雇を経験している。それはより一層「他人事ではない」と感じさせる契機となった。

 

#  異端児として釜ヶ崎に関わる 

   私たちの社会では落ちやすい。 小さなことから底なしに落ちていく。だが這い上がるのは極めて困難だ。そのように彼女は語る。始まりは就職難・失業・病気・災害など誰にいつ起こってもおかしくない不幸からだ。しかしそのまま這い上がれずに、ライフラインを失っていく。貧困は暮らしの質だけでなく人との関係も奪うことを彼女は釜ヶ崎から学んだ。

   持てる者と持たざるもの。現在の資本主義経済では大きく2つに分かれてしまうのが宿命だ。しかしその皺寄せを際限なく一手に引き受けるのが彼らなのか。

「なんでこんな格差社会になっちゃったんだろうって思います。活動しててたくさんの人の犠牲の上に社会が成り立っていることに気づいたんです。なにも変えられてないのに、ボランティアで味噌汁とかおにぎり渡してるだけでいい気分になっている自分が急に気持ち悪くなって。」

   どのように釜ヶ崎に関わるべきか、根本的な解決ができない自分の立ち位置を迷いながら、彼女が出した答えはこうだった。

「誰かに頼まれて炊き出しをしてる訳ではないんです。だからあの街では異端児なんですよ、私たちは。貧困について勉強するために勝手に入ってやってるんです。そして野宿のおっちゃんたちも、私たちに救ってもらいたい訳ではないんです。でもおっちゃんたちや私たちで連携すれば一個でも落とし穴を埋めるために変えていけることあると思うんです。そういう繋がりを広げていけたら孤立することも減るかなって。」

   遠く離れた存在から身近な存在へ。丁寧に言葉を選ぶ福成さんの語りには、彼女が釜ヶ崎の人たちに誠実に向き合う姿勢が表れていた。

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福成さんの参加する団体のイベントです。

興味のある方は是非!

告知【越冬闘争】
時:2017年12月28日〜2018年1月4日
場所:大阪西成区(釜ヶ崎)
内容:炊き出し調理・配食、見回りパトロールなど
連絡先:gakinet2017@gmail.com(学生企画ネットワーク)

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釜ヶ崎関係で私が好きな本等のリンクです〜!

 

 

 

ルポ 最底辺―不安定就労と野宿 (ちくま新書)

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祈りの現場

祈りの現場

 

 

 


『さとにきたらええやん』 予告編

 

 

【第3回】【東日本大震災】遠藤園縁さん「西日本の人は、東北の震災を知らなさすぎる」

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  関西生まれ、関西育ち。私は旅行でしか関西の外には出たことがない。地震が多い日本で、関西の震災と言えば阪神淡路大震災だろう。生まれる前に地震も復興も終わっていた私たち大学生の世代はあまりピンとこないのが本当のところだ。恥ずかしながら2011年当時、私は東日本大震災のニュースを見てもあまり実感が湧かなかった。遥か遠い話のような感じだった。

   だからこの話は、私と同じような関西の学生に向けて書こうと思う。

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宮城県で生まれ育ち、大分県の大学に通う。二つの震災の爪痕に触れるということ。

 遠藤園縁(えんどうそのえ)は宮城県出身で大分県の大学に通う大学1年生だ。

彼女の地元は宮城県大河原町。2011年3月11日、最も揺れが強かった場所の一つである。当時彼女は小学6年生だった。

「震災のことは鮮明に覚えている。だから、小学校の時の他の記憶があんまりない」

 

忘れもしない「あの時のこと」

  14時46分。その時、彼女は教室で普段通り授業を受けていた。揺れは来た。余りに揺れが強くて立っていられなかった。必死で机の脚に捕まろうとするも机の脚さえも揺れている。つかまる所がないくらい全てのものが揺れていた。その時先生は「これは宮城県沖地震だ」と言った。宮城県に30年に1回絶対来ると言われてた地震である。他の大人もみんなそうだと思っていた。しかし三日後にラジオを聞き、これが宮城県沖地震よりも遥かに大きい東日本大震災だと知ることになる。

 

   家は幸い外傷は無かったものの、中は足の踏み場がないくらいに滅茶苦茶になっていた。もしあの時家にいたら確実に死んでただろうと言われた。

  震災から数日、園縁たちは電気が復旧するまで蝋燭の下で暮らした。寒さに耐え、余震に震えながら乾パンやカップラーメンを分け合ったりした。幸い溜めてたお風呂の水のお陰でトイレの水には困らなかった。ラジオで流れていた綾香の「みんな空の下」に号泣した。

 

元あったものがない

  彼女が海を見たのはあの日から随分経った頃のことだった。大河原町はかなり海から離れているので、それまではテレビや新聞からの情報や周りの噂が全てだった。実際見ると何もない。元あったものがないという衝撃。ぐちゃぐちゃになった土。そして、もしかしてそこに誰かが埋まっているかもしれないという恐怖。

 

「多分、津波を見た人たちは一生忘れられないと思うよ」と彼女は言っていた。きっと自分の街が崩壊していく恐怖は底知れないだろう。その証拠に彼女の代まで高校受験で地震の問題は一切出なかったという。

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先生の話 

  震災から6年経った2017年春、改めてそれに向き合う機会があった。というのも、彼女が大分の大学に通うことになったからだ。大分もまた2016年の熊本地震で被害を受けた地域である。大分の被害についてはテレビや新聞で大々的に報道されなかったものの、インターネットを見ていると大分の受けた被害も相当のものだったことが分かる。

 

  大学に入り、たまたまとった授業に時事問題を扱うものがあった。その授業では国内外の様々な問題が取り上げられたが、その中の1つに震災復興があった。具体的に言えば、熊本地震の復興を他の震災の復興と比較するというものである。

   

   先生は言った。「宮城は地方だから未だに復興していない。神戸は都市部だったため、速いスピードで復興したし、同様に九州も復興に向かっている」と。先生のこの言葉に彼女は腹が立った。先生に限らず、九州の人は九州の地震しか経験していないので、それが全てだと思い込んでいる。東日本大震災熊本地震と比較にならないほど規模が違った。マグニチュードにも違ったが、原発の問題・津波があるかないかは決定的だった。熊本地震でもみんな大変な思いをしており、どっちの被害がひどいか・どっちが辛いかなんて比べる気は毛頭ないが、東北の人たちが自分たちで進めてきた復興の軌跡を否定されたようで胸が痛かった。

 

  今、東北は確実に復興している。仮設住宅はやっと廃止になって、公営住宅に変わった。浜辺を覆っていた瓦礫の山は綺麗に片付けられ、やっと落ち着いた。だが今の段階に来るまでの道のりは長かった。原発など色々問題が絡まり合い現場と国との足並みは揃わなかったし、予算や避難区域に至るまで様々な問題が頻発した。そのことを先生は言いたかったのかもしれないが、東日本大震災の復興をそんなに短絡的に語って欲しくはなかった。

 

 

「西日本の人は、東日本大震災のことを知らなさすぎる」と彼女は言う。関東に行って「宮城出身です」と言うと、「震災大丈夫だった?」と必ず言われるのに、関西や九州の人からは「宮城かあ、遠いね」それだけ。当然のことかもしれないけど、関心があまりにもなさすぎる、と。西日本と東北の温度差が大きすぎる。

震災跡を見に来てほしい。当時どんな悲惨な状況で、ここまでくるのにどれだけの時間が掛かったのか知ってほしい、と。

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震災の体験した人の話を聞くのは初めてだった。東日本大震災の関連書を幾つか読んだこともあるが、本物の話はそれの比にならないくらい話はどすんと心に響く。

 

南海トラフもいつ起こるかわからない。大阪湾に津波がきたら梅田の地下街はやられてしまうとも言われている。決して他人事ではないはずなのに、今まで私の心のセンサーは鈍かった。いや多分今もそれほど理解はしてないんだろうけど。

  

東北旅行、しようかな

 

 

おしまい

 

【第2回】【過去との向き合い方】林将寛さん 人生のテーマは「人との関わり」

「人との関係性」それが彼の据えた人生のテーマだという。自分が今まで抱えてきた課題に
対峙し続けるという生き方。
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初めましてと挨拶を交わしたのは、
今日のインタビューワーである立命館大学産業社会学部四年の林将寛さんだ。

インターンの勤務帰りらしい。
インターン先について伺ったところ、発達障害の子供たちの居場所となれるようにという理念の下作られた塾だという。

___発達障害に興味を持たれてるんですか?

「いえ、興味があるのは発達障害というわけではないんです。ご縁があってここで働かさせて頂いてるんですけど。
僕が人生をかけてやっていきたいと思っているのは、自分の人生を素直に表現できる人を増やしたい、っていうことなんです。
自分の意志や人の選択、行動のもとになる心の動きに興味があって、そこに働きかけたいなと。」

「僕、ありがたいことに友人から相談を受けることがよくあるんですけど、その時に多くの人が、幼い頃に築いた価値観に強く影響を受けているなと感じたんです。」


やりたいのは自由な人生の選択と「居場所づくり」

林さんによれば、社会や家族から無言の圧力を受けて、自由に自分の人生を表現できていない人が多いという。
そして自由な人生の表現の基盤となるのは、安心できる人間関係すなわち「居場所」である。
居場所といっても様々である。社会の中での他人からの自分の承認、小さな仲間内への所属、個人間での相互承認。それらの前提条件があって初めて自分らしく生きることができる
そのように林さんに思わせた背景には、対峙し続けてきた過去があった。

人生のテーマは「人間関係」
恋人の存在
「僕の恋人が精神疾患を抱えていたんですね。
生きづらさを抱える彼女と一緒にいて、僕も生きることについて考えるようになったんです。
やっぱり生きづらさの根にあるのって孤独感だと思うんですよ。
いくらすごいスペック持っている人でも、自信を持つには、自分で自分の人生を肯定できるだけじゃなくて
周りからの承認や安心できる場所が必要だと思うんです。

彼女が僕と一緒にいる中で、生きてみたいと思ってくれるようになった。それで僕は彼女の力になりたいと思うようになったんです。」

価値観形成期
「僕、ちっちゃいころ父親の転勤で海外を転々としてたんです。日本に戻ってきたのは小学生も終わりかけくらいの頃かな。
日本人学校に通ってたんですけど、海外を転々とする子供たちが集まってるところで、人の入れ替わりが多いんですね。
勿論新しい環境に慣れるのにも時間がかかるし、やっと慣れて仲良くなってきても、その友達がすぐ転校しちゃうとか。僕が転校するとか。
適応能力は身についたけど、気持ちが移ろいやすい性格になった。正直なところ、悪い側面の方が大きかったです。

あともう一つ、人生で決定的だったのが中二のころのいじめですね。具体的に言えばシカト(無視)でした。はじめは仲間内での軽いからかいだったのがエスカレートしていってクラス全体に広がって。クラスの誰からも相手にされず、孤独を感じた時期がありました。
その原因として、帰国子女あるあるなんですけど、プライドが高くで偉そうな態度が、周りの不満を募らせていったのかもしれないなと思ってます。あるきっかけで、それが爆発してしてしまったのかな。
誰にも関心を持たれないというのは辛かったですね。」
__いじめに対して自己内省されているのは凄いですね
「めちゃくちゃ辛くって、こんなにつらい思いを生み出したのは自分のせいだと思わずにはいられないんです
けれど大学になって自分が一緒にいて安心できる仲間に出会えた。それが大きかったですね。彼女のこともそうだし、自分の振る舞いで感謝を生むこととかあって、それが自信に繋がりました。

「ありたい」姿
__これを踏まえて、「人が自分のやりたいことができるようになる」ために働きかけるっていうのはどういうことなんでしょう。

僕「やりたい」って言葉よりも「ありたい」って言葉を使いたいと思っているんです。
やりたいって実態がないといけないと思うんですよ。例えば、パティシエになりたいとかね。
でもそれ見つけるのってなかなか難しいじゃないですか。だから「やりたい」よりもっと抽象的な「ありたい」の方を大切にしていて
だから人が自分の「在り方」を考えていくことの手助けですかね。周りの人が人生の選択をするとき後押しする役割になりたいんです。
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ミハラ「確かに人間最後に残るのは「人間の在り方」なのかもしれないですね」
林さん「スペックは代替可能だしね」

こんな言葉を交わしながら、インタビューを終えた。幼い頃から聞かれ続けたであろう
「あなたの夢はなんですか」。
それが意味するのは「将来就きたい職業」だろう。
私たちはその考えにあまりにも慣れすぎてしまってはいないか。
やりたいことは極めて刹那的である。
林さんのようにありたい姿を求めていく方がもっと崇高な気がするのだ。

おしまい。

【第1回】 【起業を転機に】芹田樹也さん

行動が言葉よりものを言う。
成功・失敗に関わらず、行動から今の自分を掴み取っていくという生き方。
起業が転機になったという芹田さんにお話を伺った。






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「起業したのは、金稼ぎてぇ!ってことでしたね」


そうエネルギッシュに語るのは大阪大学経済学部三年の芹田樹也さん。
二年の夏から仲間を集め「MOREINVEST」との名で舵を切った。

彼が試みた事業は主に二つ。
まず一つ目が株式投資を促すサイト運営。
元々お金の流れに関心のあった彼は、アメリカの現状について知って以来、日本社会のお金に対する考え方に疑問を呈するようになった。
現金主義、貯蓄傾向、投資への消極性。キャッシュレス・カード社会で、かつ小学生の頃からお金の教育がしっかりなされているアメリカと比べて、日本はかなり遅れているのではないか。経済をよくするにはお金の流れを良くすることは必須だ。その思いから株式投資を促すサイト運営を始めた。志しは強かったが、それを会社への収入へ繋げるのに頓挫したという。


もう一つの事業がビジネス・プログラミング関係のイベント・講演会を一括検索できるアプリケーション開発。
事業のために東京まで行ってプログラミングやビジネス系のイベントに参加する中で、関西でのイベント数が関東に比べて圧
倒的に少なく、規模も小さいと気づく。その理由はイベントに参加したいという若者の層は一定数居るのに、イベントを広める仕組みも、探す仕組みもないということだった。彼らはアプリケーション開発によって、仕組み作りをしようと試みた。アイデアとしては高評価で、そのアプリに登録すると確約してくれるイベント主催者も現れたが、これは上手くいかなかった。

「エンジニアのモチベーションを上げられなかった」
失敗したのは自分の未熟さだと芹田さんは話す。
「これには真剣に取り組んだんですけど、本当に。けど上手くいきませんでしたね。協力してくれたエンジニアは企業のインターンで高額な給料を貰うような優秀な人たち。だけど俺は想いだけで始めたから、そのモチベーションをコントロールするが本当に難しかったんですよ。作業期間が長引く長引く中、頑張れと言い続けられなかった。ちょうど俺が他の企業のインターンでアメリカに行った時期とも重なって、想い自体も変化してしまったというのもありますね」


とりわけ事業を進める上で痛感したことを語ってくれた。

「人間は究極のめんどくさがり」


「イベント関係の事業をしてたから、人が集まるイベント、人が集まらないイベントを色々観てきたんですよ。例え大きいコミュニティの中心にいたとしても、そこで1人喋ったって相手は動かない。人って究極の面倒くさがりなんです。相手を動かそうとするなら、個人的な繋がりで当たって行くしかない。大きいイベントの主催者は個人的繋がりで動いてる。」起業後は個人的な繋がりを更に大切にするようになったという。

それを経て今

芹田さんは今はTRUNKという会社でインターンをしている。学生に大学生活だけでは学べない実践的教育や知識を無料で提供する会社で、元々は東京の会社だが、ガン剤関西への地方展開を進めている。芹田さんはその関西の事業展開を一任されているという形だ。
しているのは起業と似たような内容だが、やはり上の存在、チェックしてくれる存在というのは貴重だ。
厳しくチェックしてくれる人の存在や、教えてくれる人、外部の目というのは怠惰な人間の本性をたたき直してくれるという。

起業の経験が今に活きることも多い。上からの指示がどのような意図で出されたものなのかわかるようになったというのもそのひとつだ。
「もし起業せずにそのままこのインターンをやってたら、指示された通りのことしかできなかったと思う。どういう経緯でこの指示を出したのかな、とか良い意味で言葉の裏を考えて動けるようになった。」

芹田さんのインターン先の詳細はこちら
TRUNK - インターンとトレーニングでビジネススキルをつけよう。



経験は自分の自信に繋がる。昔の自分が今の自分を支えている。失敗や挫折経験に対してどう向き合うか、というのはなかなか難しい問題だが、経験を着実に今に活かしている彼は、かなり理想的な姿を体現しているのではないかと思った。

ごあいさつ

 

はじめまして、ミハラリナと申します。

大学生二年生、社会学系の勉強をしております。

 

少し、夢を語らせて頂きます。

私の夢は文章を書いて生きること。

高校生の時、古本屋で出会ったインドの短編エッセイがあります。

かなり古い内容でしたが、文章自体は緻密で素晴らしいものでした。

ガンジス川の周りでの火葬や、すし詰め状態の電車の内部、

その情景や匂いさえもがありありと読者にも伝わってくような描写に当時の私は圧倒されました。

文章を書くというのは、入り口は易しく見えて

伝えたいことを正確に表現するのはなかなか困難です。

その時から私は文章を書いて生きていきたいと思い立ち、今もずっとそれを目指しています。

私が運営する別のブログもそういう所以です。

 

そして、もうひとつ。

大学生になって様々な人に出会いました。

強く感じるのは、同じ世界を見ていても、私の見方とは全く違うんだということ。

画一的だと言われる日本にも多様な人がいて、

殆ど言語化されることのない様々な経験をしていて。

皆様々な考えを持っていて。

言語化せず、それを無かったことにするのは

社会としても余りにも勿体無いことだと思います。

私はそれを言語化していきたいと思っています。

社会が自分の知見を超えて多様であることを理解できれば、

社会や人はもっと寛容になるのではないか。

できれば社会の趨勢が、誰もが生きやすいと感じれる社会に向かって欲しい、

そういう経緯で「人」のことを、インタビュー記事を書こうと決意しました。

 

稚拙な文章ではありますが、どうぞよろしくお願い致します。

 

 

取材協力・お問い合わせはこちら:leo.lionni1096@outlook.jp